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執筆者の写真Shogun Beatz

リズムとセッション

本日のコラムは、少し私自身の思い出話の断片などを交えながら書かせて頂こうかと思います。

まず初めに、私は中学1年の時にギターを始めました。

それまでは、両親の聴く音楽やTVが流すもの、MTVで流れるものなどを無意識で聴いていて、特に何が大好きというのもなかったのですが、Gene Pitneyの「Louisiana Mama」や、World Industriesのスケートボードビデオ「Love Child」に収録されている曲達、The Tokensの「The Lion Sleeps Tonight」やThe Supremesの「Love Child」、そしてMichael Jacksonの存在は強烈に好きだった記憶があります。

そういう曲達はいくつになっても変わらず大好きであること、多いですよね。


小学6年生の頃、恥ずかしい話ですが、小心者のくせに目立ちたがり屋で、有名になれればモテるだろうと思い、○ャニーズに入ろうと考えて、近所の児童館でバク転の練習を始めました。


できるようになって調子に乗っていたら、友達のジャ○ーズ好きの女の子や親しい大人たちが口を揃えて言う(故人ではありますが、暴露本があったりと、世俗的に度々言われていることだと認識してますので言っちゃいますが )、"デビューの見返りとして、少年達が社長に呼ばれる"的な噂話にかなりビビり、頭の片隅でじわじわとボディブローのようにその言葉が残り、しばらくして、その方向はいつのまにか諦めていた記憶があります。


後に地元の公立中学に上がり、とにかく何か音楽がやりたくて、まずはピアノ教室に通い始めました。実は小学校1.2年生の時も習っていたのですが、その時の先生が怖すぎて辞めた記憶があります笑。


通い始めた近所のピアノ教室には、たまたまプロのギタリストの方がピアノを習いに来てまして、有難いことに、私のピアノ練習の後に時間合わせて頂き、ギターもついでに習うということができました。目立ちたい一心で始めたものの、日に日に音楽そのものにハマっていくのを実感しながらの毎日でした。


当時の2人の先生には本当に感謝の気持ちでいっぱいですが、正直に言いますと、ある時期からギターの練習の方が圧倒的に楽しくなり、ピアノの方がだいぶ疎かになっていたこと、当時を思い出すと、ピアノの先生には大変申し訳ない気持ちになります。


しかしながら、中学生の時の私にとっては、やはり毎日の生活に馴染みの薄い曲やフレーズなどを主に練習する一般的なピアノ教室では満足できませんでした。

ギター目線での、国内外のPOPSや大衆的なBluesのコード進行で、Rockでよくあるスパルタンな運指練習の魅力には到底及びませんでした。

生活に密着している音楽の方が身体と耳に馴染むということですね。


その後は、兄弟の影響や環境の変化により、HiphopやR&B、Funk、Reggae、Dance Musicの楽しさにのめり込んで行き、かなりギターの練習が疎かになりながらも、ドラムやビートの部分への執着が、やがて、必然的にMPCと出会わせることとなりました。


そんな感じで幼少期から学生時代くらいの記憶を辿っていると、ふいに、意識を持って音楽を始めた時(ギターを始めた時)から、もちろん歌のメロディや楽器のフレーズも好きなんですが、本質的には、何よりもリズムそのものが好きだったんじゃないか、そんなことが頭をよぎりました。


中学時代、ギターを持てない時は、たとえ授業中であっても机を叩き始めて担任の先生を怒らせたり、他の怖い先生対策として太ももをドラム代わりにしたりと、リズムや音楽への執着が止まらない毎日を過ごしていたので、かつてのTable BangingからFinger Drummingへと辿り着いているのは何か宿命のようなものを感じざるを得ません。


ギターにも、フィンガードラムにも言えることなのですが、自らが知ってる曲や演奏する意欲のある曲というのは、頭の中で鳴らすことができる曲であり、正確な音程が取れなくても、リズムに合わせてフレーズを追いかけることができれば、演奏が可能(練習すれば)だということに気づいたのです。


それは、頭の中で鳴らすことの他、実際に音に出す、口ずさむということが特に一般的ですが、口ずさむフレーズを指の動作に変換できれば良いということになります。


逆に言えば、リズムが取れてないと演奏できない、口ずさむことさえできないことになります。


小学校から中学まで度々同じクラスで、最終的に大学も同じで、実家がすぐ近所にあった「在日ファンク」のギタリストである仰木亮彦( Akihiko Ohgi ) とは、中学の時から今まで幾度となくバンドを組んでいて、中学時代は2回ほど区民センターのステージを借りてライブをやりました。





校内の他のバンドや隣の中学の幼馴染のバンドも混ぜて4.5組で開催し、2回目はステージ転換部分を担当するDJも加わり、中坊のガキンチョ達が主催してる割にはそこそこ規模が大きくなりました。私自身の演奏レベルは、お世辞にも上手いとは言えませんでしたが。


仰木くんとは付き合いが長く、あらゆる形態でセッションやライブをしてきましたので、私自身も少なからず経験を積んできたおかげか、ある程度の範囲内で、次に何を繰り出してくるか予測できる時があります。


社会人になった辺りから、私が音楽を完全にサボっている間も全くブレず、絶え間ない努力をしてきた仰木くんのツイッターには、いつのまにかブルーチェックが付いていた、というくらい出世していますし、今でもセッションをすると、場数の違いや経験値に驚くことがあります。


ある意味、生演奏とはリアルタイムで、"音楽で時を刻む"、とも言えますが、アドリブやジャムセッションなどでは、仲間の動きを予測したりすることが多く、それはつまり一瞬先の未来を予測しながら演奏していることになります。(最近では、コロナ自粛中のオンラインセッションで、ネット回線の遅れさえも予測して演奏しているという強者の話を耳にしました。)


では、完璧に練習したフレーズを間違いなく完璧に演奏すること、とは、未来に演奏するフレーズを全て事前に知っているということが前提ですが、一方でアドリブセッションなんかは、決め事が無いぶん自由であり、仲間同士で、"現在進行形"で以って、未来を予測しながら現在の時間を作り出していくことに違いありません。


何が起こるかは起こるまでわからないですが、その未知を楽しむこと、そうして自由に演奏できる時こそ、制約にも縛られることはなく、自身の精神が解放されている瞬間であるとも言えます。


縛りが少ないからこそ、また、何が起こるかわからないワクワク感こそが、"アドリブやセッションは楽しい"と感じられる大きな要因ではないでしょうか?バンド演奏において、仲間同士で決めたタイミング、また、偶発的にキマッたタイミングなど、お互いの時の刻みを合わせて共に発音するので、気持ち良さは格別です。


そして、フィンガードラムにおいては、クリックやシーケンス化されたサンプルを追いかける練習だけをしていると、生演奏の時の人間的なズレを感じる機会が少なくなります。そのズレに対して、こちら側から対応する感覚、言うなれば、"思いやり"の精神を養う機会が極端に減少します。


ひたすらMPCのパッドやギターの指板や弦を睨み続けたりするような練習、反復的に同じことを続ける練習は筋肉記憶の面で絶大な効果を発揮しますが、固執することになりがちで、リズムを刻む感覚を養う練習としては限定的なものになってしまう可能性があります。もちろんクリック練習や完コピなどは重要な練習ではありますが。



毎度同じ音が出てくる"サンプルを扱う機械"、それと"生楽器の概念"とのハイブリッドとも言えるMPCですから、特にFinger Drummingを重要視するプレイヤーにおいて、人間的なズレやその気持ち良さとどのように共存しているか、どのように表現しているか、それがプレイスタイルの違いとして見て取れると思います。


そして、"時を刻む"ことは、生きることと同義でもあります。今この瞬間、この時を「何」で刻むか。

それぞれが納得できるモノで、任意のペースで、時を「何か」で刻むことを選択し続けられれば、より上質な体験が待っているということでしょう。


私も過去に、音楽に関して特に何もしない時期なんていうのもありましたが、有り難いことに若い頃から頭の中でリズムを刻み続けてきたおかげで、音楽を続けられる才能が(中毒なだけかもしれませんが ) いつのまにか備わっていたこと、また、親兄弟、幼馴染、友人、良き仲間に恵まれている良好な環境を再認識することができ、再度、Finger Drummerとして、ビートを指で刻んで行こうと決意することができました。


私のハートもビートもいつか、嫌でも止まる日が来るんでしょうから、その日までは気持ち良く叩き続けたいですね!

私事ばかりの長文で、大変失礼いたしました🙇🏻‍♂️


Shogun Beatz 九拝


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